記録残しとこうぜ

仕事とか勉強とか

不安

今だからわかる、当時抱いていた「不安」について。

それに捕われてる人もよく見かけるなと気づいたので、まとめておく。

結論が出てる訳でなく、これは結論までの過程の部分。

スッキリするオチはないよ。よろしくね。

 

 

見られているかもしれない不安

 

10代後半から20代前半の自分は、特に「見られているかもしれない不安」が強かった。

 

今すれ違ったあの人たちは、もしかしたら自分を見て引いてるんじゃないか?

自分はチビでブスでデブだから、この後自分をネタにして笑い合うんじゃないか?

など。

 

高校2年の頃に精神病にかかった自分は、数年の間ずっと世間を嫌っていた。

チビなのは仕方ないとして、ブスなのがつらい。

というか、物心ついた頃には既に家族にブスと呼ばれ続けていた。

もはやそれが「私はブス」から「ブスな「私」」という風にアイデンティティにすらなってしまって。

にっちもさっちもいかなかった。

 

しかもデブだ。

身長は変わってないのに、痩せてた頃から30キロも増えて。

顔も身体も形が変わっていた。

原因は向精神薬の副作用だったので、飲んでる間は改善が見込めない、どうしようもないと諦めてしまって。

まだ覚えてる、パツパツすぎてボタンの締まらないあの白いパンツ。履けても酷い姿で。とにかく白いパンツが憎かった……。とばっちり。

 

自傷癖もあったので半袖がなかなか着れず。

腕が出せない。足も出せない。隠すしかない。

バイトも体調不良が多すぎて続けられず。

金もない。友達も少ない。引きこもるしかない。

外に出たらきっとみんな自分を見て笑う。

馬鹿にしてくる。

外に出たくない。自室にいたい。

そしてインターネットの世界に逃げ込むのであった。

 

(今思えば、想像した悪口は全部兄の声で再生されてたんですよね。これは今もかな……。)

 

 

見られていないかもしれない不安

 

絵を描くのは幼稚園の頃から好きだった。

友達と交換ノートに絵や漫画を描くのが大好きで。

中学生にもなるとネットで絵の上手い人に出会えて、交流もした。

自然と自分の絵も載せるようになっていったのだが。

 

インターネットで絵を載せることの怖さ。

自分はとにかく数字が怖かった。

拍手が少ない。訪問者が少ない。感想が。閲覧数が。ブクマが。

自分のこと好きでいてくれる人がいつか偶然見つかればラッキー!なんてことは思えず、数字に囚われていた。

 

インターネット上の友達の数にも敏感だった。

相互リンクがとか、フォロワー数がとか。

自分だけ集まりに呼ばれてなかった時のなんとも言えない感情。(未成年だからでした。)

 

もしかして自分、絵がめちゃくちゃ下手なんじゃないか?

もしかして自分、めちゃくちゃ人に嫌われているんじゃないか?

焦る。寂しい。自分だけ存在が薄れているように感じるのが怖い。

もっと絵を描かなきゃ。上手くならなきゃ。必要とされたい。存在を示していたい。

見てもらえてない証拠の数字が怖い。

 

交換ノートをしてた人数は多くない。

でも楽しかったな。幸せだったな。

有名じゃなくても少人数でもよかったし、気にしなかったし。数字のことなんて考えてなかった。それが当たり前だったから。

 

それがどうだ。こんなにもつらい。

「見てもらえてないかもしれない不安」がこんなにもこんなにもつらい。

存在意義を感じられない。孤独だ。

 

 

貧窮を忍び能わざる心

 

あの頃、クラスでも絵が上手い方だと言われ、自認もしていた。

数年後、その自信は見る影もなくなった。

承認の言葉は少なく、他と比べて数字も低く。

過去の自分と比べると……。まるで零落だ。

 

いや待て違う。昔は少人数だけの集まりだった。

だから承認の言葉を発する人数も少ない。そもそも見てくれる人の母数が少ない。

ネットに載せるようになった時と実はそんなに関わってる人数は変わってない。だから褒めの言葉の数も変わってない。

 

でもそれが自分の世界だったから、少ないことに気づいてなかったことだけだ。

数年後の自分が振り返った時、なんでそんな数で満足できてた訳?!と謎でしかない。

あの人と比べたらこんなに反応少ないのに。

あの時の絵より全然褒めてもらえてないのに。

世界が広がって、他者と比べて、初めて思い知る。

井の中の蛙大海を知らず。

大海の波に撹拌されて自己を見失う。

自分を、過去の自分と周りと比べてみると、なんて貧しい数字だ。

耐えられない。孤独に耐えられない。

 

 

結局のところ

 

精神病患者で自傷癖があって

低身長で肥満体型で

顔面にコンプレックスがあり

病気により不登校と引きこもりを経験し

当時の自分はかなり色々抱えていた。

 

でも、実家で暮らすことができ、まだ親の保護下にいたこと。未成年で大人としての責を問われていなかったこと。

だから金銭面で困窮することはなく、人間関係がゼロになることもなく。

暴力はあれど死ぬほどではなかった。怪我で病院には行ってない。

エンゲル係数は上がりっぱなしだったが、困らなかった。それは恵まれてることかもしれない。幸せなことかもしれない。

 

世の中にはまだまだ自分と同じような、なんならもっと困窮している人もいると思う。

「こんな年齢なのに」「収入が」「病気が」

周りからの目はこわい。見てくる癖にちゃんと見てくれない。

誰かと勝手に比較されたり、自分も比較せざるを得ない状況になったり。

あの人は〇〇だからダメだね〜とか、それで苦しむなんてそんなん自己責任なのに!とか言われたり。

精神病だったりすると社会的スティグマを抱え込まされたり、自責の念から自分で抱え込んでしまったり。

 

今の自分がそれらの不安について気にしなくなったのはここ数年のごくごく最近の話だ。

長かった。つらかった。戻りたくない。

承認される事、必ずしてくれる人が隣にいる事、承認してくれる人を承認し返せる事。

どうしてできるようになったんだろう。

 

って、結局、なにしても見捨てないでくれた上司のおかげです。ありがとうございます。

努力によって勝ち得た結果だろとは言ってくれるけど、あまりにも不平等では?自分みたいな人はもっとたくさんいるのに。

というか自分はなにを努力したんだろう。

検討はついてるから、いつかまとめたいな。

 

あー、どうすればこの経験を活かせるんだろう。

どうすればこんな境遇の人たちを支えられるんだろう。

どうすればこの境遇に合ってない人に気づきを与えられるんだろう。

 

過去のことを思い出してももう痛みはしない。

でもこうして記憶には残ってる。

孤独に耐えたあの数年間は消えはしない。

ずっと抱え込んでいくんだとすら思える。

 

 

今度は自分がやってきた投企と、その末に自分のやってる他人への承認の仕方をまとめられたらいいなと思う。

そしたらまた何か見えるかな……。

もっと気付きたいです。

 

長いのに読んでくれてありがとうございました。読んだ人いるかな?!笑

お疲れ様でした。